「ブログ始めました。お立寄り下さい!」
最近「認定調査士の独り言」と題したブログを始めました。土地家屋調査士ADRを考えることを通じていろいろなことを学びながら民間調停の実践に向けての準備をしていきたいと思っています。
土地家屋調査士ADRの実現を目指すならば、私は「草の根運動」から始める方向がBETTERではないかと思う。まず土地家屋調査士ADRの実現を目指す者たちの勉強会の立ち上げが第一歩だと思う。上からの司法改革ではなくわれわれ(市民の)の司法改革を実現するには、まず我々が立ち上がらなくて誰が改革するのか?裁判所が煩わしさ(境界訴訟全般)を我々土地家屋調査士に投げているとすればそれは決して市民にとって改革ではない。形成訴訟を単なる国家による事実認定としか捕らえていないのならなおさらであると考える。
建物表題登記をオンライン申請。紙申請より若干手間が掛かるのが実情それは法務局も同じだろうと思う。今までコピーしていた作業がスキャニングに変わったりPDF変換に変わったり、「原本と相違ありません」と記載して押印していたことが電子認証になったりしているが「委任状」に申請人の電子認証を付けないとオンライン申請は完結しないので結果的に法務局へ出向くことになる。表題登記の場合「委任状」(PDF)に資格者代理人の電子認証を付すことでオンライン申請が認められればもう少し利便性がよくなると思うのだが。
今日は十数年携わってきた地域の公会堂の竣工式に出席し皆で完成の喜びを分かち合うことが出来ました。私も建設副委員長として竣工までの経過を皆さんに報告させていただきました。当然ボランティアですが、ほとんどの関係者が知人であり私の担当が主として規約の改廃という普段の業務に比較的関連していた事だったのでどうにか竣工まで冷静に参加することが出来ました。 これも一種の「プロボノ」だったのでしょうか。
PRO BONO PUBLICO 「公共の善のために」今後も意識しないでプロボノ活動を続けていけたら良いなと思います。
「認定調査士の独り言」と題したブログを初めてまもなく二十日程になる。土地家屋調査士ADRに関することを出来るだけ自分なりに考えて記録していこうと思っている。現在政府が行っている「事業仕分け」をテレビで見るとなんとなく指導型調停(評価型調停)を連想してしまう。
先日建物表題登記をオンライン申請(委任状持参)したら24時間で登記完了になった。しかしこれは、オンラインのおかげではなく登記申請が少ない結果だと思う。年間の登記申請が1万5千件を下回ると統廃合の対象となると言われていたが、事務所の近隣3市3登記所の受付件数はすでにここ数年1万5千件を下回っている。確かに統廃合は進んでいることは事実です。1地方法務局・6支局・15出張所(平成17年)が、現在は7出張所に削減されています。今後も統廃合はもう少し進んでいくことと思います。土地家屋調査士としては「紙資料」の保管保存さえ十分であればよいと思うのですが。
静岡の日本平ホテルで土地家屋調査士会支部の後輩(入会が私より後ということ)の結婚式に招かれ参列させていただきました。当初富士山の姿を見ることが出来ませんでしたが披露宴ではしっかり見ることが出来ました。さらにご親族の合唱団が歌われた「富士の歌」(頭を雲の上に出し〜)が私にとって忘れかけていましたが思い出されて良かったと思いました。当日乾杯の音頭を依頼されていたので新郎の仕事である土地家屋調査士制度について語ろうと用意していましたら先輩土地家屋調査士(元県会長)に先に語られてしまいました。たまたま新婦が武蔵大学のご卒業でであることを知り東京四大学(成蹊・成城・武蔵・学習院)の卒業生(私は成城)として親近感を覚えお話させていただきました。楽しいひと時を過ごすことが出来感謝しています。末永くお幸せに・・・・・・・!
3連休も終わり今日から仕事再開!午前中富士市の現場(建物表題登記)に行ってきます。
建物表題登記の際、建築確認通知書(通称建築確認)は所有権証明情報として大切な書類となる。一般的には建築士が申請書を作成して建築主事などから確認を受けている。当然のことだが「本人」であることを証明するためには姿形・氏名・生年月日・住所時には戸籍などが必要になる。普段は「自動車運転免許証」「パスポート」などが「本人」であることの証明に使われている。建築確認にも当然申請人である「本人」の記載がなされているが往々にして住所が異なる場合が多い。すなわち誤記であったり「居所」を住所と記載している場合である。そのために、住所が違う「本人」が「本人」であることを証明する必要が生ずるわけである。今日もその証明のための「不在籍・不在住証明書」を富士市まで申請に行ってきたが何故建築確認に住民票の添付をしないのか土地家屋調査士としてはそれを「所有権証明書」として扱う立場として不思議である。
あと数日で師走となるが年々暮れとかお正月といった伝統的な感覚が薄れていく気がしている。日常と非日常の区別が付けづらい日々の暮らし方、けじめや区切りを曖昧にするあるいは意識しない生活の連続はある意味ただ生きているだけで時間の浪費のようにも思われる。人生の残りの年月を消化試合のように浪費しないように何かに打ち込めたらいいなと考えている。
今月(11月)も今日でおしまい。明日から師走となります。そんなわけで、そろそろページを移動しましょうか。
独り言U(54)へ移動します。
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