「ポタリング記録」が放置状態になって大変気になっているのですが・・・・。
土地家屋調査士会競技大会(種目は、グランドゴルフ・ソフトボール)に向けての練習日は久し振りの雨のため中止。練習予備日と大会当日はなんとか天気は持ちそうなのでほっとしています。大会当日雨の場合弁当代を会場まで持参し弁当を持って帰らなければならないので担当者は大変なことになります。いずれにしても天候に左右される行事や仕事は大変です。
球技大会は大会前日の正午に中止が発表された。今まで大会開催に向けて準備をしていただいた担当役員の方たちにはお疲れ様と申し上げる。支部担当役員も中止に伴う様々な手配をしていただきありがとうございます。本日午後6時からの「支部慰労会(親睦会)」は予定どおり行われます。このところの不景気感のためか仲間と飲むこともめっきり少なくなってきたので今日の懇親会を楽しみにしています。
久し振りの支部親睦会に21名(支部会員44名)参加して楽しいひと時を過ごすことができました。10月3日はちょうど今年の中秋の名月ということで帰り道に名月を観ることができました。ADRの勉強会をして欲しいといった意見がでていました。すこし本腰を入れた活動を展開する必要を感じました。
非常に大きな台風18号が10月8日午前5時ごろ知多半島に上陸し焼津も強い雨や風に襲われました。現在台風は北上し晴れ間も見えてきています。本州縦断ということで大きな被害が無いことをお祈り致します。
今朝起きてパソコンの電源を入れたつもりが、あれ起動しない!!あわてて再度電源を入れようとしたがまったく動かない。こんなときのために予備のパソコンと全てのデーターのバックアップをとってあるので心配は無いがそれにしても突然である。オンライン申請の時代なので安全管理には今以上の対策を考える必要性を感じた。
今年の特徴ですが、東京の建設会社や建築設計会社からの境界確認業務の依頼が目立つ。静岡市内の仕事が多いのですが傾向としては医療・福祉関係の建築設計のための測量がほとんどです。東京の建築設計会社のご紹介、静岡の建設会社のご紹介などですが仕事のご縁とはありがたくも不思議なものだと感じています。
裁判所の民事調停のことを「司法調停」と言うこともあるらしいことを知った。ADRを「裁判外紛争解決」と称する人が多いように感じられる。民間ADRは素直に「民間調停」と言えば良いと思う。あるいは「メディエーシォン」と言ったほうが良いような気がする。「土地家屋調査士(境界)メディエーシォン」等と言えばいかにも輸入物の雰囲気がしてかえって市民に受けるのかもしれないし実態を標榜していて嘘がない気がする。日本の教育の中に「学校」と「塾」が存在(共存)しているのは現実だ。今まで裁判所(司法)だけで調停を行ってきたことにある種の敬意を表したいと思う。しかしながら「権威」としての最後の砦であると自負していた裁判所(司法)にも教育界で言うところの「塾」、すなわち民間調停を取り入れざるを得ない閉塞感が有ったのではないかと推測します。なぜ閉塞感に陥るかというと「個人主義」の台頭があげられると思います。すなわち権威主義だけではコントロールできない司法の現実があるのだろうと思います。日本における国民の個人主義が必ずしも一般に歓迎されていない理由の一つに権威による制御不能があげられると思います。民間「メディエーシォン」は当事者の高い個人主義(自己解決能力・判断能力(仮に潜在的であるにしろ))を前提にしていると思います。よって民間調停は個人主義に立脚した考えの下に展開しようとしているので、現在ではその運用は時期尚早との意見も多数あること思います。
私は、当事者の目線に立った民間調停が仮に徹底した「傾聴」だけであったにしても行われる事を期待しています。
午前中久し振りに市内をポタリングしました。あいにくぽつぽつと雨が降ってきたので家に戻りましたが、すっかり肌寒さを感じました。そういえば、まもなく11月になります。来月は友人と県外にポタリングしに行く予定です。
「好々爺(こうこうや)」「国姓爺(こくせんや)合戦」は一般に「爺」を「や」と読むと教わった記憶がある。麻生前総理の漢字の誤読をテレビで散々批判していたある人が「(楽天の野村監督について)あの歳なら一般の人は好々爺(こうこうじい)になろうとするだろうに・・・・・」とコメントしていた。まあ、何も読んでいるわけではないから「誤読」ではないが・・・・。しかし私も人事(ひとごと)ではない読めない字,書けない字がこの頃特に多くなってきた気がする。「所以(ゆえん)」、「所謂(いわゆる)」、「流石(さすが)」などあれ?と立ち止まることが多くなった。
静岡市駿河区「グランシップ」で行われた研修に参加した。講師の弁護士(日調連顧問弁護士)が調査士ADRの必要性は無いとの見解を示し、境界紛争解決手続代理は弁護士と「共同代理」であると述べていた。調査士ADRの必要性の無い根拠に「筆界特定制度」と日本人の美徳的なことを挙げていた。紛争当事者は筆界が示されればそれに納得して決して「時効」の主張などしないからだ、よって所有権界の問題など発生しないので調査士ADRは不要なのだという結論に至ると主張された。すなわち「筆界特定制度」だけが裁判外境界問題解決の最も有効な手続きだと述べられたのだ。この弁護士の境界問題の実情に対する認識不足と権威主義に腹が立った。調査士ADRの目指すところは当事者の話し合いによる問題解決の支援であって決して単に筆界が示されたからといって解決するものではないと考えます。さらに、調査士ADR代理関係業務は弁護士と「共同受任」であって「共同代理」ではありません。それにしても、全国の土地家屋調査士を相手にこの弁護士先生はこんな話しかできないのだろうか。それとも私が先生の話を誤解しているのだろうか。後味の悪い研修だった。
入江秀晃氏のブログで次のような文と出会った。
“しかし、こういう話の仕方は、あまり魅力的ではない。
話し手側に映像が描けていないので、冷たい情報だけを伝達することになりがちである。「わたしは、○○が大事だと思う」というメッセージの裏に、そう思うに至るような、具体的なエピソードを、できれば複数話すのがよいとおもう。
エピソードとは、誰々が、どこどこで、どういう事情で、このようなことをしたといった話でよい”「私的自治の時代」(ADR研究者 入江秀晃氏)
入江氏の言う「こういう話の仕方」とは統計データーや分析を中心としたご自身の話し方の傾向を指しているのですが、我々土地家屋調査士にもその傾向が強いので共感を覚えました。境界問題の相談を受けているとき、当事者が図面、測量データーなどを提示すると「傾聴」から一転データーの「分析」に陥り予断を形成する傾向にある。すなわち境界問題にどのようにして至ったのかという当事者の最も伝えたいエピソードに対して聞き手として「映像を描く」姿勢が大切だと感じた。
久し振りに藤枝の「蓮華寺池」までポタリングに出掛けてみた。娘も行きたいというのでBD−1とMC1A−7の二台で出発。途中「セブンイレブン」でパンとジュースなどを買い30分ほどで到着。さすが平日のためか人はほとんどいない。娘と子供の頃乗ったボートも1艘浮かんでいるだけであったが日頃境界問題とか民間調停のことしか考えていない私にとって久し振りの気分転換で有った。私は池の端のベンチでカレーパンをいただきました。
そろそろ独り言U(52)へ参りましょうか?
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