今年はご来訪者延べ10,000人を突破しさらに独り言Uが(50)となりました。ホームページを開設してから5年4ヶ月が過ぎようとしています。土地家屋調査士にとっては変革の時代であり経済的にも衰退の一途を辿った時期でもありました。政権は小泉内閣(慶応)⇒安部内閣(成蹊)⇒福田内閣(早稲田)⇒麻生内閣(学習院)と替わりいよいよ8月30日衆議院選挙投票日を迎えます。
衆議院選挙結果は民主党の圧勝であった。宮澤首相以来久々の東大出身の鳩山総理大臣が誕生することになる。さて、筆界特定制度の5年目の見直し時期が来年訪れるが民主党政権になってどのような方向性を打ち出してくるか注目したい。
「官尊民卑」の考え方が無くなったと思いたいのが人情だろう。士族の考え方、町人の考え方、農民の考え方、職人の考え方それぞれの考え方主張があるのは現在においては当然だがその根底に日本において「官尊民卑」の思想があることを拭い去れないのは私だけなのだろうか。調停委員会と民間調停(ADR)が「官尊民卑」の関係にあると感じるのは私一人だけなのでしょうか。日本における、お上の(裁判所)調停委員会に対して、主としてアメリカでの交渉学(ネゴシエーション)に基づく考え方から導かれたと思われる「メディテーション」と称される調停技法がわが国の民間調停、主として隣接法律職のADRについてそれを標榜するインストラクターと称する人々によって席捲されている様は直ちに受け入れ難く相当の疑念を抱かざるを得ない。すなわち、民間調停(ADR)が日本国民に受け入れられるかどうかという議論の前に、まずADRありきであったのではないか考えます。何故ならば、隣接法律職のADRが設立はしたものの現実として機能していないからです。利用者にとって、法による「指定」・「認証」は二の次の問題であるはずがADR機関はそのことを最重要課題としています。端的に述べればADR機関は何を目指しているのでしょうか。「認証」を受けた先にあるものは何でしょうか。ADRを運営する我々一人一人の研鑚努力を脇において官に近づこうとしているベクトルは即ち「官尊民卑」を我々が実践していることに他ならないと考えます。ADR研究者の入江秀晃氏のブログにあった仏教の僧にまつわるいさかいの解決方法を「ぬかるみに藁を敷く」を読んでもっと広い視野でのメディテーションを考えなくてはと感じました。
入江氏の9月7日のブログを読んで感じたことを以下に書きたいと思います。
巨大な組織と個人との間の紛争解決あるいは問題解決は多くの場合個人に分が悪いのが一般的だ。特に大企業の出先機関内部における上司と部下の関係は、時に戦前の軍隊における上官と部下以上に悲惨な状況にある場合が少なくない。紛争あるいは問題発生の第一義的には組織と個人の問題ではなく狭い意味での職場における個人と個人の問題である場合が多い。上司といっても組織の中ではそれほどの役職ではないものが平社員や臨時社員などに対して横柄な態度で接し、まるで私物(生殺与奪権を持ったかのごとく)のように扱うと言った状況が発生する可能性は高い。それは、企業本社から離れた出先の出張所(営業所)あるいは分工場などで起こりやすいのではないかと考える。すなわち、所長、主任などと称され本社から赴任した正社員以外は現地採用の臨時的社員あるいは営業職である場合がほとんどであるため本社において所長、主任といった者を客観的にチェックする機能は無くただあるのは営業成績ないしは生産成績と言った数字以外に何も存在しない実情がある。出先の所長、主任は本社の指示を仰ぎ部下にとにかく成績を達成させることが仕事である。一般的に現地採用の部下に嫌われようがしがらみはないし数年で転勤が発令されればあとは野となれ山となれである。それまで、現地採用の者を徹底して絞り上げ成績を上げさせることに専念することが彼らの仕事である。本社は現地採用者の人事権を実質現地の所長に委ねているので人事労務関係については関与していない。よって、所長、主任は現地でやりたい放題をすることが可能となる。仮に現地採用臨時的社員から本社に「内部通告」があったにしても、大きな企業にとって内部通告した者は現地採用という「部外者」なのである。従って企業は「内部告発」を企業と内部者の問題として捉えるシステムも責任すら無いと考えるので当然のこととして人事権について「生殺与奪」の権限を持たせている出先の機関(出張所の所長など)へ躊躇無く送り返すことが出来るのだと思う。すなわち、現地採用の人々の企業内部における人権は無いに等しく単に出先の営業所の「傭兵」として扱われているにすぎない。しかしながら、ここまで考えていくと出先機関の個人(いわゆる正社員)と現地採用個人の問題ではなく組織的な問題であることが浮かび上がってくる。このとき一般的に本社側は現地の問題としてすなわち部外者の問題として追求を出先の出張所の問題として逃げ切ろうとすることが想像できる。現地採用の「傭兵」とみなされているおおむね臨時採用者と現地における人事権を持った者との紛争、問題は企業の都合によって所長、主任の個人的問題として処理される恐れがある。もっと考えていくと出先の所長、主任も実は「本社採用の傭兵」なのだということが見えてくる。
私が述べたいことの趣旨は、土地家屋調査士としてはADRの限界について考える必要があるということであるが、いまのところ「人権」は個人ではなく「大きなもの」の手の中にあるのが実情ではないかという推測である。民間調停推進の運動のなかでいかに「個人の人権実現(あるいは認識)」を含めて目的として取り入れていくのか大きな課題を抱えているのが現状であると考える。
静岡の「ベガサート」で行われた境界問題無料相談に静岡境界紛争解決センター相談員(当番)として静岡のT認定土地家屋調査士(広島カープのファンだと思う)と一緒に午後の3時間3件の相談を伺いました。今回も土地の境界の上には「いろいろな心(思い)」がのっていることを改めて実感しました。また、相談者あるいは相手方の表面的な言葉のやりとりの向こうにある本当の意思あるいは思いを1時間と言う短時間でどのように相談者の自主的な言葉で聞き出すことができるか一層の研鑚の必要性を感じました。
9月13日(日)と14日(月)の2日間浜名湖館山寺開華亭で正副支部長会が開催されました。今年は改選期で、執行部はじめ多くの正副支部長が交代したため2年に1度の泊まりの会議となりました。財政、球技大会、研修などの議題が多く今年度の大きな指針についての議論はほとんどなされなかったように感じました。会議後の懇親会は楽しく過ごすことができました。各支部とも徐々に世代交代が進行しているのを感じました。
「ネゴシエーション」「メディエーション」「ファシリテーション」など様々な人間関係、利害関係を円滑に調整する技法の導入が花盛りである。「以心伝心」に象徴される共通の価値観・文化に基づいた日本社会の衰退傾向により、新たな調整ツールの必要性が顕在化している結果だと感じています。土地家屋調査士ADRも現在要求されている調整ツールの一つであると感じています。
このところ日中気温が30℃を超える日は少なくなってきた。ポタリングに最適な季節の到来である。ただ難しい仕事とか研究テーマを抱えているとどうも気分が清々しなくてポタリングよりも「お酒(私の場合ビール)」を選択してしまいがちである。意識してポタリングを楽しむようにしたいと思っています。
そろそろ独り言U(51)へ参りましょうか
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